2012年1月11日~13日まで,ボンで開かれた環境会議に出席しました。今回の会議は,コンラード・アデナウアー財団が主催したもので,温暖化と人権,グリーンエコノミー,環境法の執行など4つのセッションが開かれました(プログラム)。
ブラジル,イスラエル,セルビア,インド,韓国,ケニア等,報告者の顔ぶれも多彩で,「日本の温暖化政策と自主的取組みの有効性」をテーマに報告したところ,原発事故後の日本のエネルギー政策,再生可能エネルギーの新たな固定価格買取制度,トップランナー方式の有効性,建築物対策等について,たくさんの質問をいただきました。
今回の会議でも,オーフス条約およびグリーンアクセスの強化は大きく取り上げられました。ドイツでは,実はかなり前に環境権の議論が頓挫し,国家の環境保護義務という形で議論が進められてきましたが,ベルリン大学のカリエス教授は,国際的な観点からグリーンアクセスの保障が実体的な人権保障のために重要であることを明快に語りました。
また,インドからは最近設置されたばかりの環境裁判所の裁判官Sharma氏が報告されました。インドは,弁護士やNGOが提起する憲法訴訟としての環境公益訴訟が広く認められ,環境保護に大きな役割を果たしてきましたが,環境裁判所は高裁と同等の地位を有し,その判決に不服があれば最高裁への上告が可能とされています。環境裁判法には原告適格の規定が置かれ,憲法を根拠とする環境訴訟の役割の多くが環境裁判法に基づく訴訟に引き継がれることになりました。すでに100数十件の事件を扱っているとのことですが,依然として環境団体等が提起する環境公益訴訟が重要な地位を占めているということです。
さらに,会議の一日目の午後には,レットゲン環境大臣の講演も行われました。会場は,歴史のある旧連邦議会本会議堂。
ユーロ,ひいてはEUの危機とも言われる中,温暖化対策の重要性を正面から訴える力強い演説は印象的で,海外ゲストも含め,多くの聴衆に好感を持って受け止められたようです。
会議の終了後は,ドイツ連邦共和国の初代首相であるアデナウアーの旧宅を案内していただきました。アデナウアー財団の名前も,この初代首相に由来したものです。旧宅はボン近郊にあるRhöndorfにあり,今回は,通常一般の見学に供されていない場所も見せていただきました。アデナウアーは90歳を過ぎても,毎朝5時過ぎには起床し,書斎で新聞に目を通すのが日課であったとか・・・。91歳まで議員を務めていたというのは初めて知りました。高台にある居宅からは,どの階からもライン川を見渡すことができました。
全体として,環境保護を経済発展につなげ,従来の産業構造の転換と脱原発を図るとともに,国際的なリーダーシップをとろうとするドイツの確固たる姿勢が強く表れた会議でした。